ABCの枠組み
A⇒生じる出来事
確認できる出来事・相談者の想像した出来事
推論、出来事に対する解釈
REBTでは、Aは、単に実際にあった出来事だけでなく、相談者の内面であった出来事や出来事に対する推論や解釈も含めます。認知療法(CT)では、推論、解釈をB含めます。しかし、REBTでは、それらは、この部分つまりAに入れることにしています。理由は、REBTについて④で解説します。
B⇒ビリーフ
評価的認知・見解
イラショナルビリーフ
ラショナルビリーフ
Bは、ビリーフです。これは、認知のことで、大きく言うと我々が持っている人生哲学のことを指します。人生哲学と言うと、大げさな感じがすると思いますが、心理学の書籍を読んでいると時々出てくる言葉です。例えば、私は、「絶対に○○を貫いて生きなければならない」とか「人間として大事にしなければならないのは○○だ」とか、そういう事を人生哲学と言っています。それらの人生哲学が、「絶対に~でなければならない」「絶対に~すべきだ」と言うことになると、その人の生き方は、硬直的になります。そして、「絶対に○○を貫いて生きる」と考えているとそれが出来なかった時、私は、「全くダメな人間で価値がない。」などと言う考え方になってしまいます。こうなってしまうと、自分を責めますし。、また、他者がこの「○○」を出来ていない場合・・・「あの人は、ダメな人だ。」と言う気持ちが生れることになります。しかし、片方で、人間は、常に何であれ完璧に○○することは、出来ないものです。ただ、誤解していただきたくないのは、「○○したい。」「いつも○○できたら良いと思う」と言う考え方をREBTでは、持たない方が良いとは、言わないのです。つまり、「絶対に○○を貫いて生きなければならない」と言う様な、「絶対的要求」にしないことが大事だと言う事です。人間は、完全な存在ではありません。いつも○○を絶対に貫くと言う事は、出来ない事が多いのです。こう考えてしまうと、非常に生きにくい様になりますし、もう少し言えば、生きにくさを自ら作り出してしまうことになります。ですから、出来るだけ自分にも、他者にも、状況にも絶対的要求を持たない事が大事なのです。しかし、エリスは、人間は、期待や要望、欲求を絶対的要求にしやすい特性を持っていると言っています。特に大事なことになればなるほど、絶対的要求になりやすいのです。そして、それは、全ての人間が持っていると特性なのです。REBTでは、この絶対的要求をイラショナル・ビリーフと呼び、絶対的でない認知=考え方「○○の様にありたい」「○○を貫くことは大切だ」と言う様な考え方をラショナルビリーフと呼ぶのです。
評価的認知の説明。
認知には、3つの種類があるという考え方で説明します。
- 事実的認知(友達に街中であって、手を振ったけど、そのまま行ってしまった=と言う様な、第三者が見ても目に見えてわかる事。)
- 推論的認知(友達に街中であって、手を振ったけど、そのまま行ってしまった。彼は、学生時代から、僕のことを嫌いだったから、知らないふりをしたんだ=と言う様な、推論を含んだ認知のことを指します。)
- 評価的認知(友達に街中であって、手を振ったけど、そのまま行ってしまった。彼は、学生時代から、僕のことを嫌いだったから、知らないふりをしたんだ。学生時代の友達から、嫌われるような人間は、人から信頼されないダメな人間だ。こんな僕には価値がない=と言う様な、評価を含んで認知のことを指します。)
落ち込みの度合いは、事実的認知<推論的認知<評価的認知になりますね。REBTが論駁(吟味)の対象にする認知は、この評価的認知=イラショナルビリーフだけです。それゆえに、推論は、Aに入れる訳です。
C⇒感情的・行動的結果
不健康でネガティブな結果
健康でネガティブな結果
REBTは、心理療法ですから、基本的にネガティブな感情を生んだ認知を扱うわけですが、例えば、誰でも、イラッとすることはありますし、残念と感じる事、ちょっと寂しいと言う様な感情はある訳です。これは、健康でネガティブな感情です。しかし、その感情のボルテージが上がり過ぎてイラッとするが⇒激怒に迄、増幅したり、残念が⇒自己嫌悪や羞恥に増幅されたり、ちょっと寂しいが⇒完全な孤独感に迄増幅されたりすることは、大きな感情問題に発展することになります。これらの増幅された感情を不健康でネガティブな感情と言います。Bのところで説明したイラショナル・ビリーフを持っていると、不健康でネガティブな感情につながりやすいわけです。ですから、REBTでは、このイラショナルビリーフを吟味するのです。