理解して欲しいと思うことは、日常で結構多くあるのではないかと思います。自分でも気がついていない中にも「理解」して欲しいと言う事は、あります。たとえは「怒り」を感じた時にその背景には、理解されたいというニーズがある。「寂しさ」を感じた時に理解されたいとと言うニーズある。「不安」を感じている時、その背景に理解されたいというニーズある事も多いのです。そう考えると「理解されたい」と言うニーズは、人間の根源的なニーズである事が分かります。それでは、そもそも、理解と言う言葉の定義は、どの様なものなのでしょうか。
【理解】 《名・ス他》1.物事のすじみちをさとること。わけを知ること。物事がわかること。「文意を―する」2.人の気持や立場がよくわかること。「―のある両親」
ここでいう理解は、第二義に当たります。「私の立場や私の気持ちを分かってほしい」と言うのが理解のニーズです。しかし、皆が理解して欲しいと思いながら、理解されていると感じないのは、なぜなのでしょう。立場や気持ちは、その人の固有のものであることが多く、ニーズを口に出すことなく、わかるのは当たり前だとなってしまうと、それは、非常にわかりにくいものになってしまうのではないかと思います。
ここで大事なのは、自分で自分のニーズを理解しているかと言うことが第一の関門かも知れません。例えば、自分の気持ちを理解する前に怒ってしまえば、それは、相手に伝わるのかと言うと伝わりにくいことも多々あるのではないかと考えるのです。自分のニーズは何かを理解して話をするつまり、「お願いする」ことが大事です。加えて自分を主語にして、私は、あなたから○○と言われてしまうと、自分が尊重されていないように感じてしまう。だから○○と言わずに○○と言ってもらえたらありがたいのですが、お願いできますかと。怒りで人をコントロールできると考えるのは、間違えです。怒りは、人に服従か、反発を生み出すだけです。
そして、更に大事なのは、相手を理解することです。つまり、相手の立場や感情を理解する事です。そして、その背景にあるニーズを理解することです。人は、理解されると安心します。そうすると、こちらのことも理解しようと考えるようになるものです。これを返報性の原則と言いますが、(だからと言って、それを利用しようとすれば、長期的には、良い関係にはならないと思います。)そういう心理的状況が生まれやすいのだと思います。そこで、提案したいのは、相手を理解することの重要性です。
そこで、相手のことを理解することのメリットを記載します。
- 相手の気持ち立場を理解することは、自分自身の殻に閉じこもらず、広い視野を作り上げることに繋がります。
- 共感的な関係が生れます。少なくとも自分を理解しろと言う様な暴力的な方法よりも効果的です。
- 相手の立場や感情を理解することは、相手のニーズを理解することでもあります。その上で、こちらのニーズを説明することによって、交渉や折衝は、平和的に進み上手くいく場合が多い。
また、評価と理解の違いについて書きたいと思います。
評価とは名](スル)1.品物の価格を決めること。また、その価格。ねぶみ。「評価額」2.事物や人物の、善悪・美醜などの価値を判断して決めること。「外見で人を評価する」3.ある事物や人物について、その意義・価値を認めること。「評価できる内容」「仕事ぶりを評価する」4. 「教育評価」の略
とあります。ここで考えたいのは2と3と言う事になります。(事物や人物の、善悪・美醜などの価値を判断して決めること。「外見で人を評価する」3.ある事物や人物について、その意義・価値を認めること。「評価できる内容」「仕事ぶりを評価する」)人物に対して、評価的な見方をしてしまうというのは、どうしても上からの視線で人を見ると言う事になるのではないかと考えます。その評価が恐ろしいと若い社会人の方から多く聞きます。それは、評価絶対主義に陥っている感じがあります。良い評価が得られれば、天に上るほどうれしい、逆に悪い評価をされたら、地獄だと言う様な感覚です。(若干大げさですが…)。だいたい、人を評価するほど偉くないと私自身は、思うのですが、それでも評価をするような立場になると恐ろしいもので、自分が何となく権限を握った感じになる・・・・。これは、共感を崩すものだと思います。だいたい、評価的にみられては、気持ちがいいものではないと思います。良い評価でも悪い評価でも。
そんな風に考えていくと、評価をするのは共感的関係が存在していて、それがベースになって、部下にフィードバックをする為に評価すると言う様な手順と言うか構造が必要になると考えることが出来ます。
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